人付き合いって難しいよなあ(『安達としまむら』10話まで感想)

秋クールというのは、なぜかあまり新作アニメを追いません。今期もそんな感じで、『日常』とか『氷菓』とか未視聴のちょっと前のアニメを見て過ごしていました。

そんな中11月末に今期アニメ『安達としまむら』を見てみたところ、これが滅茶苦茶刺さりました。そこから一気に全話見て、9話からはリアタイで追っています。

深夜アニメをリアタイでみるというのは、BS11で金曜23時30分からという比較的見やすい放送時間というのもありますが、おそらく初めてです。

何が私をこんなに惹きつけたのか。記録も込めて感想を書いていきたいと思います。

人付き合いが不得意だったりおっくうだったりする人たちの内面描写がすごい

安達としまむら』をみた人がまず気づく点として挙げられるのは「モノローグが異様に多いこと」でしょう。セリフの半分以上はモノローグなんじゃないかとすら思います。これは社交的とは言い難い安達としまむらの内面であるとか、言葉の裏の思いであるとかの表現するためのものなのと思います。そのモノローグのおかげで、非常に文学的で、現実なのに現実ではないような心象世界的な雰囲気が全体的に漂っています。

また、そこで描かれる内面が、同様に人付き合いが苦手な自分には非常に共感できるものでした。

特に安達。自己肯定感が基本的に低く、関係を深めるためのコミュニケーションが下手ゆえにいちいち重くなっちゃう感じは、なんだか心当たりがあります。中高生のころを思い返すと私にも多分にその傾向があるし、多少ましになった今でも、恋愛とかになると安達化してしまうと思います。

具体的には、5話の「クリスマス一緒に遊びに行きたい」としまむらにいいたいけどなかなか言えず、結局1話まるまる尺を使う安達とか、1話のしまむらに他に友達がいてちょっとがっかりしちゃう安達とか、「ああわかるなあ」という気持ちになります。

なんなら5話で「一緒に遊びに行きたい」といえたあとの気持ちがすごくわかりやすく態度と顔に出てしまう感じとかも思い当たる節があります。

人付き合いに不慣れなんだろうなあということがすごくわかります。

ちなみに、一方のしまむらは人付き合いもそれなりに器用にこなせるが、過去の経験からか深い人間関係の構築には苦手意識があるようです。人付き合い自体も好きなわけではないしなんなら億劫に思っているようです。(10話で2年生になってできたクラスメイトを「友達もどき」と言ってしまうところは結構強く出ていると思います)

twitterでフォローしている方で、しまむらに共感できるという方がいました。そういう強い共感を生むキャラ設定と、モノローグを通して内面をちゃんと伝えるその表現方法と、ふと自分の内面にも思いを至らせてしまうような文学的な雰囲気がこの作品の大きな魅力といえるのではないでしょうか。

ぎこちない関係深化と人付き合い

先述の通り、安達もしまむらも、コミュニケーションに一定の苦手意識があり、迷いながらというか悩みながら接しているところがあるように感じます。さらに安達が恋愛感情に近いものをもって接していることも相まってか、前のめり過ぎるアタックによりしまむらとの距離を近づけている過程は非常に危うさがあります。

もちろん恋愛感情があれば、接し方はぎこちなくなるものですが、そうはいっても、もうちょっとうまくスムーズにやれるやろうと思うところがあります。

そうはいっても関係はうまく深まっていくのですが、直近の10話ではクラスが変わり、しまむらと幸いにして一緒のクラスになったのにも関わらず、しまむらの周りに別のクラスメイトが接触を始めて、安達が不登校になり若干の崩壊の危機に瀕します。

(これも安達の自己肯定感の低さゆえなのかなと思うのですが、なんだかわかるところがあります。「私なぞがしゃしゃっていいのか」とか「どうせ私はどうでもよいんだ」とか簡単に思ってしまうんですよね)

しかし、こういったぎこちなさや危うさは、我々人付き合い苦手人間のコミュニケーションにはつきものです。

私は学生時代にあんな恋愛はしていないけれど、社会人になって、幾分かスムーズに人付き合いをこなせるようになった今見ると、学生時代ただ友達付き合いをするだけでえらく悩んでいたころを思い起こさせます。

 もちろん百合としてもよくできている

先述の通り危うげがめちゃくちゃあるのですが、しまむらも安達のことを好意的に見ているおかげで、関係はうまく深まっていくため、後半につれて百合っぽいシーンもふえていきます。

文学的な雰囲気もあいまって、百合百合しい箇所は結構きれいな感じでにやつけます。

 

安達が常時考えている「この感情は女友達の範疇を超えているのではないだろうか、いやそんなことはないやっぱり単純に親密な女友達と思っているだけだからセーフセーフ......じゃねえわやっぱり!」みたいな感情、これが百合の醍醐味の一つなんですかね。

東海地方アニメとしてのあだしま

あだしまの舞台は明言はされていないと思うがおそらく岐阜県の美濃地方。多分西濃のほうでしょう。

近所が舞台だからということも視聴開始のきっかけのひとつでした。

モレラ岐阜っぽいとことか、イオン各務原っぽいとことか出てきます。バレンタインの遠出先として名古屋駅も出てきます。

割と慣れ親しんだ光景が、アニメに出てくるうれしさたるや。9話の名古屋いく回とかは見覚えのあるとこが多くてよかったです。

聖地巡礼をすると、その場所の混み具合であるとか栄え方とか、そこに至るまでの街並みとかで、登場人物がどんな人生を歩んできたかの理解が幾分か深まっていいんですが、初見でそれがわかるのです。

また、先述の通りもともと心情的に似通っているところがあるというのが魅力のひとつだったので、同じ地域の人間と思うとより親近感がわきます。

 終わりに

普段はアニメにしても小説にしても漫画にしても、こういうギャグ薄めで人間関係に強い重点を置いた作品というのは見てきませんでした。

百合というのは比較的慣れ親しんだ日常系の系統に近いものとはいえ、なんかちょっと思わぬところで思わぬものが刺さったなあという感じがしました。久々にしっかり作品にハマった気がして、非常に良い経験をさせてもらったなあと思います。

まだまだアニメは続きますのでもちろん見ますし、原作ラノベはもっと心象描写が強くてよいとおすすめいただいたので読んでみたいなあと思います。あと聖地が比較的行きやすいところにありますので、聖地巡礼もしてみたいですね。