車を考えることは人生を考えることかもしれない
日記に書こうと思いましたが他のネタとだいぶ性質が違うので、独立して記事にします。
今の車であるアコード、結構いい車ではあるのですがそろそろ買って3年。
重厚感と剛性感があるのはいいけど車も重く操作系も重いので軽快感は足りないなあ(当たり前だが)みたいな細かい不満や、短い人生いろんな車乗りたいよね!みたいな心から11月は結構ガチで次の車をどれにしようかを考えていました。
そして考えますが、考えれば考えるほど、何に乗ればいいのかが分からなくなってきます。というのも、具体的な車種選択の基盤となる、求める要素と予算感が自分の中できっちり定まらないからです。
求める要素
まず車によって得意なことは全く違います。山道やサーキットを楽しく速く走りたい。生活の足として気軽に活用したい。ドライブ旅行のお供として荷物をたくさん積んで長距離を楽に走りたい。これらの用途によってベストな選択肢は全く異なってきます。
山道やサーキットを楽しく速く走るには軽量でボディや足がちゃんとしたスポーツカー。例えばロードスターであるとか86であるとかがいいですが、そうなると荷物や人は乗らないし、固い足は街乗りで乗りづらいし、燃費もよくないのが気になります。
生活の足として気軽に...と考えると軽いハンドルに小さいけど人や物がよく入って燃費もいい車。例えばN-BOXとかタントみたいな軽ハイトワゴンやそれに類する車がベストでしょうが、そんな車はサーキットを走ると最悪横転しますし長距離は苦手になりがちです。
ドライブ旅行のお供に荷物をたくさん積んで長距離を楽に走れる車、とするとレガシィみたいなミドルサイズ以上のワゴンなんていいと思いますが、これは生活の足車と条件的に符合する部分はある一方ボディサイズは大きく狭い道がしんどいです。
というわけで求める要素が定まっていないと、車に対する評価は180度変わってきます。
予算感
車は一般的には家の次くらいに高い買い物です。新車に関していえば今どき安くても100万くらいはします。それだけのお金を他に投入すると色んなことができるし物も買えます。
また車というのは中古まで含めると値段の幅がすごい広いです。「壊れず走る」という最低限の条件を満たす車は、中古であれば数十万で買うことも無理ではありません。じゃあ高い車はコスパが悪いのかというと全くそんなことがなく、走るという根本的な機能が数十万の車より見違えてよくなりますし、いろんな付加価値もついてきます。
このように車は高額なうえに価格の幅が広いのでどこまでのお金をかけてどこまでの価値を求めるのかということについて難しい判断を迫られます。
車は私にとっては優先度が高い趣味でもあるので、それなりのお金を投入するだけの価値があると思っています。ただ同じ条件を満たす車も、その条件の満たし具合によって50万から100万の差がつく場合も往々にしてあります。
では、そのお金を他のものに投入するとどんなことができるのか?そもそもそんなに趣味に金使っていいのか自分...?
というとこまで考えると、人生における趣味の優先順位とか、今後かかるお金の合計は...とか考えなきゃいけないようにも思えてきます。
車を買うには人生を考えないといけないのではないか
求める要素と予算をぐるぐる考えているうちに頭が痛くなってきました。自分が人生の中で今後何をしたいのか、それにどれだけのお金がかかることが想定されるのか。そんな自分の人生全体を考えなければ答えが出ないんじゃないかとすら思えてきました。
車を探すのは楽しいですが、決めるにあたってはめちゃくちゃ難しい判断を迫られるなあと感じます。
と色んな車を調べつついろんなことを考えているうちに、「とりあえずあと1~2年くらいは今の車乗り続けるか!」という結論に至りました。
今の車も、何を求めるか定まりきらない中で「なんでもできる車」を選んだので結構なんでもできますし、正直来年どこに住んでいるかすらわからないので、それによって求める条件も変わりますから...。
ところで、私は人が車を探したり買ったりする話やプロではない人のカーレビューを見るのが好きなのですが、車を買うという行為をこうやって異様に重くとらえていることが理由かもしれません。先述の通り求める要素によって車の評価はだいぶ変わりますから、選ぶ車からその人が見えるような気がします。もちろん車含め買い物はちょうどいいいところにそれがあったみたいな巡り合わせでも変わりますから、その人の価値観がそのまま反映されているとも限りませんが、それはそれで人生が見える気がして面白いです。
というわけで、私は人が車を買った話が大好きなので、twitter等のフォロワー各位は車を買われる機会などございましたら存分に自慢していただけますとうれしいです。何卒よろしくお願いします。(なんの告知?)
おしまい